永代に供養する寺 長慶寺

長慶寺の歴史

長慶寺の歴史

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永和2年(1375) 僧 慶弘が、密教修行に相応しい土地を求め、この地に来た。
行基作と伝わる 薬師如来像を安置し一坊を構えた。
爾来、薬師尊を中心とした修行道場となる。
薬師如来の功徳は、国家の安穏は元より、修行に妨げになる現実的な物心の不足を満足させ、心身は安らかになると、数多の僧俗が集まっていた。

幾星霜を経て、時は江戸時代。
薬師尊像が老朽したので、時の住職が先導し、総代、名主老若男女が私財を出し合い、伽藍の一大改修が行われることになる。

享保18年 大棟梁 林兵庫正清(初代)に依頼し、花輪町彫物 石原吟八(初代)、板坂伊平次、新井孫四郎、三十郎(高松又八倅カ)の合作により見事な御堂が完成する。
同熊谷市 妻沼聖天堂工事に先駆け、林・石原のタッグが今までにない建築と彫刻の協演を試みた重要な第一次資料である。
向拝 虎
向拝へ海老虹梁の設置することで強度が増し、中備に蟇股を必要としなくなったことにより、目貫に主要彫刻をあしらう技法が生まれた。中備に虎を拝する作例は少なく、虎の眼球に鍍金をはめる技巧も前後3~40年以内と短い。
羽目 龍
木鼻 獅子
薬師如来宮居

棟札

○長慶寺天井の墨書.jpg
○長慶寺龍裏の墨書_0001
西城長慶寺薬師堂彫刻について
シンポジウム資料

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