福川のかめ

長慶寺には境内裏手(北側)に流れる福川の名前の由来となった、お福と亀の物語が江戸時代から伝わっています。今でも産卵シーズン(5月〜7月頃)になると、境内にひょっこり亀が現れ卵を産んで帰ります。もし境内で亀に会えれば、それは福を呼ぶ亀かもしれません…。

 

福川 福川のかめ

その昔、武州江波郷(今の熊谷市江波)に富翁という長者がおった。乗馬が好きで、馬に乗っては野原を駆けまわり、川を渡ったりして遊んでいた。この日もまた、愛馬にむちうって、野を駆け、川を渡ろうとしたところ、一匹の亀が馬の尾にかみついて離れなくなってしまった。しかたなく家に帰り、やっとのことで亀を馬の尾から離して、亀を網で結わえて軒先の柱につないでおいた。

柱に結わえつけられて、暑さにぐったりとした亀だったが、この家に奉公していた「お福」という気立てのいい女中が、かわいそうに思って水をかけてやると、亀は元気になり、いつの間にか縄を切って遊げ去って行った。

ある日お福が近くの川で洗濯をしていると、亀が金をくわえてあらわれ、お福に渡した。それからも、お福が洗濯に行くたびに、亀があらわれては金を渡すので、お福は裕福になり、女中をやめて実家に帰ることが出来た。この話が伝わり、亀は川の主であろう、福を授けた川で「福川」だ、となったそうな。

 

福川のかめ

『めぬま郷土かるた』で振り返る 我が郷土 | 熊谷デジタルミュージアム